ウォーターガール
「じゃあ、ナタデココトロピカルデラックスパフェ」
長い名前を噛まずに言うと、相手は苦笑した。
「ひとりで食うの? それ」
「食べたかったらあげるよ?」
「死んでもいらないけど」
彼――月岡航は本気で嫌そうな顔をする。甘いものははっきりきっぱり得意じゃない。
しばらくしてパフェが運ばれてくると、超甘党の椎名美琴は嬉しそうにスプーンを取る。
「いただきまーす。でも珍しいね、航がおごってくれるなんて。代返のお礼にしては豪華よね」
「たまにはいーだろ?」
航がどうしてもバイトを抜けられない、と言ってきて、美琴が授業に代わりに出て出席したことにしてきたのだ。そのお礼に、と航が大盤振る舞いをしてくれている。
(でもなんか、変)
パフェをすくう手は止めずに、航をこっそり見た。
バンドをやっていて、ギターが恋人で、バイトしているのにいつも金欠な航にこんなお金があるはずはない。
同じバンドでヴォーカルをやっている美琴だからそんな生活ぶりも知っている。最も美琴も、機材にお金をかけなくていい分CDやらライブチケットやらにまわしているので金欠ぶりは大して変わらない。実際、代返のお礼に喫茶店でおごれと言われたらかなり悩む。
航はそんな美琴の心を見透かしたように笑って、パフェを指す。
「まあ食って食って」
「そーだねせっかくだしね」
美琴はすぐに気を取り直してスプーンを口に運ぶ。
きっちりきれいに食べ終えると、航が気を利かせてコーヒーを2つ注文した。
「ホントに今日どーしたの?」
「相変わらず鈍いよな。ずっと聞きたかった話があって。声、出なくなったときのこと詳しく聞きたいんだけど」
「それは……」
美琴は口をつぐんだ。
「もちろん話したくないってわかってる。でももうかなり経つし、またそんなことにならないためにも聞いておきたいんだ。それに」
航はそこで言葉を切って、空になったガラスの器を指した。
「食っただろ? オレのおごりで」
はめられた。
そう気付いたときにはもう遅かった。
――すごいヴォーカリストがいるんだ――
高校生の頃、たまたま見に行った文化祭のライブ。
航はそこで、美琴を見つけた。
住んでいるところも全然違うし、高校生なら活動範囲も限られているから知らないのも当然で。
でも、見つけた。
聞くだけじゃ足りない、自分があの歌を支えたいと思うようになって、ギターを始めた。
できるだけたくさんのライブに行きたくて、バイトもした。遠いライブハウスまで足を運んで。
時には前座でたった1曲歌うだけなのに見に行った。
大学に入ったら、意地でも見つけ出してバンドを組む。
我ながら無謀な夢だったと思う。
だいたい、本気で見つけたかったら彼女の地元の大学にでも進学すればよかった。
そうしなかったのには、理由がある。
高校3年のあるときから、突然、美琴たちのバンドが表舞台に出てくることがなくなったのだ。
解散した様子もない。
誰に聞いても、理由は知らないと言う。
ただみんなは口を揃えて、「あの歌声をもう一度聴きたい」と言うだけだ。
もちろんそれは、航も一緒だった。
そう思い続けて、大学に入って最初の夏。
チャンスは降ってわいたように訪れた。――航がたまたま行った合コンに、美琴がいたのだ。聞けば同じ大学だという。
人生であんなに驚いたことってないと思う。てっきり東京にでも行ってプロになるために駆けずり回っていると思っていたのに、なぜこんな、地元から遠い大学に進学した?
王様ゲームに細工をして美琴を半ば強制的に自分のバンドに引っ張り込んで、曲を聴かせた。
美琴は全身で歌うことを拒否した。
そこで航は、美琴たちのバンドが突然活動しなくなった理由と、美琴が歌わなくなった理由を聞いた――
『ある日突然、あたしの声が出なくなった』
『原因は多分、たまたまライブを観に来てたレコード会社の関係者にめちゃくちゃに言われたからだと思うんだけど』
『その後ずっと歌声は戻らなくて。あたしは音楽を諦めて受験して、知り合いの誰もいないここに来たの』
それで食べていくつもりだった彼女にとって、どんなにショックだったか。
今一緒にバンドをしていると、昔そんなことがあったなんて忘れてしまいそうになるくらい美琴の声は調子がいい。会ったときと、随分顔つきも変わった。
だからこそ知りたかった。
まだきっと、美琴の『突然声が出なくなるかもしれない恐怖』は消えていない。
航はどうしてもそれを拭い去りたかった。
自分にできるかはわからない。でも、できる限りのことはしたい。
航の強い意志に圧されて、美琴はとうとう話し出した。
高校3年生の夏のことを。
「美琴、明日6時から練習な! 遅刻厳禁!」
「オッケー。聡こそ遅刻しないでよ?」
学生カバンを肩にかけて、バンド仲間の聡が教室を飛び出していく。
今日はずっとファンだった洋楽アーティストの初来日ライブなのだ。神様みたいに崇めていたから、これから会場まですっ飛んでいくつもりなのだろう。
(さて、あたしも行こっかな)
カバンを持ち上げる。もう期末テストも終わって、夏休みを待つばかりの今、クラスメイトは残って夏休みの計画を立てるのに忙しそうだ。
とはいえ、高3だし受験生の人も多い。美琴のようにまったく受験しない、という人も少なくはなかったが、なんとなく今までの夏休み前とは雰囲気が違った。
「美琴、今日どっか寄ってく?」
「あーゴメン、これからバイト」
「そっか。がんばってねー。またメールするー」
「うん、じゃねー」
理系クラスにいたせいか、友達はみんなさっぱりしていてつきあいやすかった。美琴も音楽はもちろん好きだったが、それ以外のことに食いつかないほど一直線ではないし、休みの日は友達と過ごすことの方が多かった。
美琴は学校を出て、陽射しのきつい道路を歩き出す。今年は猛暑になるでしょう、と毎日のように天気予報は言う。日陰のないアスファルトは陽炎ができるほど熱い。
それでも美琴の足取りは軽かった。バイトがあるなら40℃になろうが嵐が来ようが雪が降ろうが竜巻が起ころうが行く。
美琴はライブハウスでバイトをしていた。もちろん学校には内緒で。
幸い成績が悪い方ではなかったので(それどころか受験をすすめられるくらいだ)、親も学校側も音楽をやることを今のところは黙認してくれているようだった。さすがにバイトはライブハウスでなくても校則違反なので学校には隠している。
ライブハウスで、といっても音楽関係の仕事はあまりない。照明や機材のステージに関わる部分は責任問題からアルバイトでは扱わせてもらえない。当日スタッフが足りないときは運良く手伝わせてもらえることもあるが、数えるほどしかない。
「こんにちはー」
スタッフの通用口から入ると、管理人が笑顔で迎えてくれる。
「お、美琴ちゃん。相変わらず熱心だねえ。今日のライブはまだ先だよ」
「でも、何か手伝いたいんです。ステージ行っていいですか?」
「いいよ」
美琴はロッカールームで手早く制服から動きやすい服装に着替える。ついでに背中まである髪も二つに結わえる。
ステージに行くと、物販の方で人手が足りないから行くように言われ、入口近くに向かう。
物販ではグッズの整理がされていて、美琴も加わった。
音楽とは直接関係ない仕事でも、美琴は何でもやった。ライブに少しでも関わっていたかったし、ライブハウスにいればスタッフとしてライブは見放題なのだ。ただし、照明機材の隙間から見つからないように、という約束つきで。
よっぽど好きなアーティストでなければ、美琴は無理に見ようとせず、割れるような音量の曲に耳を傾けた。
楽しかった。聴いているだけで癒される。初めは戸惑うだけだった爆音も、今では逆に心地良い。
平日はバイトをし、休日はメンバーの都合が合えばバンドの練習をして。勉強するときも、美琴は音楽を聴いていた。
正に音楽漬けの生活。音楽を聴くと心が満たされる。落ち込んだときは元気になれるし、感動して泣いた曲もたくさんあった。
いつしか、詞を書くようになった。書いてはメンバーに見せて、いいものであればみんなで曲をつけてみる。
そうやってオリジナルもコピーもやって、楽しく活動していたある日。
すぐにとは言えないが、デビューの可能性がある、と言われた。
地元ではだいぶ名前も通ってきているし、バンドの力量も申し分ない、ということで、卒業したらプロになる道は少しずつ開けた。
「デビューできるなんて夢みたいだよね! 信じらんない!」
毎日そう言っていた頃。高校生だった美琴たちにとって、その話は天国へ昇る梯子でしかなかった。無我夢中で昇っていた。
ところが、その梯子は突然断ち切られた。
「君たち、ちょっといいかな?」
いつものようにライブを終えて、楽屋で休んでいると、どこかの音楽企業のバッジを付けた人に呼ばれた。それは最初に声をかけられた企業とは別のところだった。
またデビューの話かな? とお互いに顔を見合わせながら案内された部屋に行った。
そこにいた、案内してくれた人より一段偉そうな人は、こう言った。
「君たちの音楽からは、何も感じられるものがない。受けそうな言葉を、受けそうなメロディーにのせているだけだ。それを音楽と言うには真剣にやっている人たちに失礼だと思わないか? これ以上、音楽を続けても何もならないよ」
目の前が真っ暗になった。
何も感じられない?
受けそうな言葉を、受けそうなメロディーに。
それは音楽?
詞を書いていた美琴にとって、充分すぎるショックだった。
その次の練習で、事態は更に深刻になった。
美琴は歌えなくなったのだ。
普段は声は出る。
ただ、歌おうとすると声が出なくなる。
無理に声を出そうとして、声帯を痛めた。声のかわりに涙が出た。
音楽が生活の中心だった美琴に、自分達のやっていることは音楽ではない、という言葉は鋭すぎた。
それから、声が出ないヴォーカリストはいても仕方ないからとバンドから脱退するまでは時間はかからなかった。最初に美琴たちを見込んでくれていた会社も、美琴が抜けてしまうなら、とデビューの話を取りやめた。
部屋に溢れかえっていたCDもMDも、プレイヤーも全部箱に詰めて、片付けた。バイトもやめた。
美琴は、生活から音楽を締め出した。
音楽を信じられなくなった。
それから受験をすることにして、地元から離れた。
まさかそこで、自分のことを知っている人に会うとは思ってもいなかったけれど。
1年のブランクの後、美琴はまた歌いだした。
驚くほどすんなり声が出た。
言われたことは消えないし、ショックも消えていない。
けれど、航の、
『オレたちとやろう。好きならそれでいいから。オレたちが絶対、やる楽しさ、思い出させてみせるから』
という言葉だけが心に残った。
好きならいい。
ゆっくり、楽しかった頃を思い出して。
何が音楽か、とかはとりあえずおいといて。
とにかく音楽が好きなら音楽を信じよう。
そうして美琴は、また音楽漬けの生活に戻った。
「とゆーわけでした」
コーヒーを飲み干して、美琴は声のトーンを上げて言った。
話してしまうと、何だかすっきりした。
航は少し考えこんでいる。
「航?」
「なあ美琴。後悔とかしてないか?」
「後悔?」
「オレ、そんなに辛いことあったなんて知らなかったから気軽に誘っちゃったけど。もしかして、まだ歌うの辛いとか、そういうのないか?」
美琴はため息をついた。
航がちょっと慌てる。
「あのねえ……後悔してたら、もう音楽やってないよ」
「え?」
「あたしは音楽やりたいの。とりあえず、音楽は何かとかはいつか考えることにして、音楽やってたいの。そう思えるようになったのは航のおかげだよ?」
「そっか……」
心底安心したように航は息をついた。
美琴はその様子にちょっと笑うと、言った。
「また、詞、書こうかな」
「じゃあオレ、曲作る」
「作れるの?」
「オレは日本一のコンポーザーだぜ? 作曲じゃ誰にも負けねえ! ……くらいなる予定」
「その心はまだ全然作れない、と」
「その通りです」
航がおどけたように言って、伝票を持って立ち上がった。
美琴もついてくる。
今では全然、過去を感じさせないけれど。
それはきっと、彼女の性格なのだ。
例えて言うなら、水のような。
氷のように冷たくなっても、溶ければ何事もなかったかのように水になって。
水はどこへ行っても水。
けれど純粋に周りの影響も受けるから、傷つきやすい。でも、それは決して悪いことじゃない。
むしろそうだから、あんなにまた聴きたいと思わせる歌が歌えるんだろう。
だからずっと変わらないでいてほしい。
「ねー航」
「ん?」
「今日、話せてすっきりした。話せてよかった」
「そっか。それならオレもよかった」
航の言葉に、美琴はいたずらっぽく笑って、返した。
「今度なんか、甘くないものおごるね?」
fin.
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