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サンダーボーイ 晴天の霹靂って、正にこういうことだと思う。 あのとき、正常に働かないあたしの頭に浮かんだのは、それだけだった。 「じゃあ、3番持ってるヤツはオレのバンドに入る!」 まあ、よくある王様ゲームの一幕だった。 大して乗り気じゃなかった合コンに無理矢理連れて来られて、何となく帰るタイミングがつかめなくて、自分が3番を持っていることに気付くまでは。 (3番って……あたしじゃん) 椎名美琴はテーブルに肘をついて、いかにもやる気のなさそうな顔で手の中のそれを眺めた。 「誰? 誰が持ってんの?」 みんなは自分が持っていないことに軽い安堵感を覚えながらも、それが誰なのかを探す。 「ねえ、もしかして美琴?」 隣に座っていたアサミにつつかれる。 「何が」 「3番持ってるの、美琴でしょ?」 「うん、そうみたい」 あっさり言ってのけた美琴に、全員の視線が刺さる。 「何?」 「あんた……本気で聞いてなかったわけ? 今月岡くんが言ったじゃない」 月岡くんって誰だっけ、とぼんやり考えながらも、美琴は3番の割り箸を見せた。 「あたし、3番だけど」 「みたいだなー。ご愁傷サマ。椎名美琴さん」 からかってるのか本気でそう思ってるのかよくわからない口調でそう言われて、美琴はやっと彼を認識した。 (ああ、この人か……) やたらさっきから王様を引きまくっている人だ。 いかにもムードメーカーな感じで、合コンにはもってこいのキャラだなとは思っていた。 「で、あたしは何すればいいの?」 「さっき言っただろ? “オレのバンドに入る”」 「はいはい、わかっ……………………え?」 今なんと? 「ちょっ、ちょっと待ってよ! あたしはバンドなんて――」 「名乗り出たんだから、やってもらうよ? 王様の命令は絶対、だろ?」 そう言われたら、何も言えない。 でも。 でも…… (ヒトの生活左右しちゃう命令って、アリ??) と思わずにはいられなかった。 そんな合コンから、1週間後。 「ホントにあんな選び方でよかったの?」 大学のクラブハウス棟の一室で、美琴はもう3回目になる質問をした。 目の前でギターをチューニングしているあの日の王様――月岡航は、涼しい顔で言ってのける。 「いいんだって。そんな気に負うことないから。1年でバンド組みたかったんだけど、人数足りなくてさ」 「だからって何もあたしじゃなくても……」 「とりあえず今日は聞いてるだけでいいから。練習だけ見てって。それでもやりたくなんなかったらオレも諦める」 「まあ、そういうことなら……」 どうせ、大学に入ってから始めた全員1年生バンドのことだ。やりたくなんかきっとならない。 ほとんど勝ったつもりで、美琴は練習場に足を踏み入れた。 「悪りぃ、遅くなって」 航が慣れた感じで入っていくと、すでにそこには他のメンバーが揃っていた。 「まあまあ。今日はちゃんとした理由があるから」 「あ、例の?」 「そうそう」 「なるほどねー」 どうやら航が美琴を引っ張り込もうとしていることはみんな知っているらしく、メンバー(といっても航の他はベースとドラムだけ)が意味ありげな視線をよこしてくる。 航に勧められた椅子に座って見学することにしたが、なんだか居心地が良くなくて、美琴は演奏が終わったらすぐ帰ろうと心に決めた。 「あの、」 「メンバー紹介は後でするから。じゃあまあ、そこで聴いてて」 言葉を遮られ、次に口を開いた瞬間、ドラムスティックのカウントと共に演奏が始まってしまう。 最初は長いイントロだなくらいにしか思っていなかった。 久しぶりに聴くベースやバスドラムの低音、エレキギターの音は気持ちいいくらいだったし。 正直、いい雰囲気のバンドだと思った。 ――が。 いつまでたっても歌が始まらない。 マイクの前に人がいないことに気付いた瞬間、美琴は椅子を蹴倒して立ち上がった。 ガターン、と響いた音に演奏が止まった。 3人が驚いて凝視する中、美琴は叫んだ。 「悪いけど! あたし絶対、このバンドに入る気ないから!」 「なんだよ、まだ一曲も――」 「とにかくやりたくないの! バンドも歌も、全部!」 それだけ言って、美琴は練習場を飛び出した。 まだ、こんなにはっきりと身体が覚えている。 あのときの恐怖を。 自分が音を奏でられなくなった瞬間の、絶望を。 マイクを見ただけで、全身の震えが止まらなくなるくらいに。 ひとしきり走って、大学の近くの浜辺に座り込んだ。 (多分、あたしのこと知ってるんだ――) もしかして、あの王様ゲームは偶然じゃなかった? そんな疑いさえ浮かんでくる。 あのことが起きる前の自分なら、喜んでやっただろう。 ただ歌うことだけが楽しかった時なら。 その頃に航に出会えていたら、この上なく音楽は楽しかったはずなのに。 (もう、遅いよ……) そっと自分の喉に手を当てる。 あっという間に涙が溢れてきた。 自分の中から音楽を消してしまって、毎日がとてもつまらなかった。 生活の中心だったものが急になくなったから、どうしていいかわからなかったし、何もしたくなかった。 知り合いから逃れるように、地元からは遠いこの大学で、音楽には触れずにひっそり生活したかった。 久しぶりに聴いた“音”。 それはやっぱり、心を震わせるものではあったけれど。 同時に、それを自分が奏でられないことが悲しくて仕方なかった。 「椎名!」 そのとき、航の声がした。 振り向かないで答えた。 「何しに来たのよ!」 「――ごめん」 いきなり謝られて、びっくりして航を見た。 「あー、やっぱり泣いてた。ホントにごめん。追い詰めるつもりなんてなかった」 「やっぱり知ってたんだ、あたしのこと」 「うん。高2のとき、偶然文化祭に行って」 「高2……」 絶好調だったときだ。 「高3のときは来た?」 「行ってない。受験、あったし」 「あたしね、あのバンドのみんなで上京して、プロになるつもりだったの」 また海の方に視線を戻して、なんとなく美琴は語り始めた。 「歌うのが楽しくて好きでしょうがなかった。音楽さえあれば、毎日楽しかったし。だから受験もしないつもりで、週末はライブ観に行ったりやったりしてた」 「……うん」 「でも、ある日突然、あたしの声が出なくなった」 「え?」 「原因は多分、たまたまライブを観に来てたレコード会社の関係者にめちゃくちゃに言われたからだと思うんだけど……。高3の夏くらいに、マイク持つと声が出なくなっちゃって」 また、さっきのような感覚が蘇りそうになって、必死で振り払う。 「その後ずっと歌声は戻らなくて。あたしは音楽を諦めて受験して、知り合いの誰もいないここに来たの」 「……他のメンバーは?」 「みんなは東京行っちゃった。今頃、バイトしながら音楽づけの生活なんじゃない?」 航は何も言わない。 というか、言えないんだろう。いきなりこんな話されたって、普通は戸惑うだけだ。 「言っとくけど、同情してほしくてこんな話したんじゃないから。とにかく、あたしはもう、音楽はいいの」 きっぱり言うと、後ろから暖かい感覚に襲われる。 「嘘吐き」 航の声が今までよりずっと近くからして、後ろから抱きしめられてるんだとわかった。 「オレがギターやろうと思ったの、椎名の歌聴いたからなんだ。いつかオレがギターでおまえがヴォーカルで、バンド組めたらってずっと思ってた」 言われて、さっきのメンバーの視線の意味がわかった。 “誰か”じゃなく、“椎名美琴”が来ると知っていたから。 「だから、今すぐじゃなくていい。少しずつでいいから音楽取り入れてって、また歌えるようになって欲しいんだ」 この上なくわがままな、でも他人思いな願い。 それをどうしてこんなにも、ストレートに言えるんだろう。 そんな純粋さが、航のギターにはあった。 腕を放して、航は美琴の正面に回りこむ。 「一回だけ訊く。――音楽は好きか?」 まっすぐ瞳を見て言われたこの質問に、美琴は、 「……うん」 と素直に頷いた。 「じゃあ、オレたちとやろう。好きならそれでいいから。オレたちが絶対、やる楽しさ、思い出させてみせるから」 どこまでも素直にまっすぐに、航は言った。 ただ歌ってるだけで楽しかった。 そうだ、きっとそんな気軽さを忘れてしまっていた。 音楽は、評価されるためにあるんじゃない。 楽しむためにあるものだ。 美琴は、手を差し出して微笑んだ。 「よろしく、航」 航はその手を握り返した。 「こっちこそよろしくな、美琴」 それから数ヶ月して、学祭では前代未聞のヴォーカリストに、そこにいた誰もが魅了された。 「航、ひとつ訊きたかったんだけど」 「何?」 「あの王様ゲームって、偶然?」 「なわけないじゃん。椎名美琴って名前聞いたときから気付いてたから、ちょっと細工した」 「……ホントにあんたって計算高いんだか純粋なんだかわかんない……」 「え? 何か言った?」 「別に。さ、練習しよっ」 不思議そうな顔で準備をし始める航の背中を見て、美琴は肩をすくめた。 素直だったりひねくれてたりで、よくわかんないときもあるけど。 これだけは忘れないでね。 そのひたむきさが、誰かを救うことだってあるってこと。 fin.
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