BEST TIME 「……あれ?」 ぼんやりと時計を見た。 短針が思っていたより上にある。 (そっかー10時半だもんねー) ……。 「10時半!?」 陸部沙恵は慌てて起き上がると隣で寝ていた彼氏を叩き起こした。 「巧っ、起きて大変! 大遅刻ーーッッ!」 「なっ、なんだ!?」 長瀬巧も横で大声を出されて飛び起きる。 「信じらんないっ、もう10時半!」 「何ーーっ!? 急ぐぞっ」 巧と沙恵は大慌てで着替えると、家を飛び出した。 高2の、春。 巧と沙恵のつきあいは4年目に突入した。 仲の良さは相変わらずで、昨日も沙恵は巧の家に泊まったりしていた。 沙恵の隣に巧が寝ていたのは、まあ、いろいろあったからで。 お約束に寝過ごして、二人は駅へと急いでいた。 ギリギリ電車に飛び乗って、やっと一息ついた。 「危なかったなー」 「二人して寝坊しちゃうとはね〜」 「だなー。疲れてた?」 「……それは自分の胸に手を当てて訊いてみたら?」 少し含みをもたせて言う。 巧はちょっと気まずそうに、おずおずと返した。 「えーと……ゴメン、久しぶりだったから」 「大変よろしい」 沙恵は腕組みして頷いてみせる。 あんまり頻繁になら話は別だが、学校も違って二人とも家族と住んでいる今、そうなることはごく稀だ。そのくらいなら、別に嫌じゃない。 「でもそー言うってことは……身体平気なのか?」 「あ、それは大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」 「ならいーけど」 巧は安心したように笑うと、窓の外に視線を移した。 巧は優しい。 話し方は大雑把だけれど、他人を常に気遣える。 そんな人が自分と何年もつきあっているなんて。 (ちょっとすごい、よね) 巧の横顔を眺めながら、少し嬉しい気持ちになる。 ふと巧が振り向いた。 「沙恵、今日サボろうぜ」 「え?」 「ちょっと乗り過ごして海行ってさ。今日天気いーしあったかいし」 「うわー、いいかも」 「よし決まり!」 ──午後3時半、三宮高校。 飛山李可、佐谷敬輔、斎野和未は、体育を終えて教室に戻るところだった。 三人とも別のクラスだが、体育は一緒だ。 「巧、今日休み?」 しばっていた髪をほどきながら和未が訊く。 「休みっていうか……サボりかも。風邪だなんて言ってたけど」 「……嘘だろうなぁ……」 李可の横で、敬輔がぼそりと言う。 「大方二人して寝過ごして、そのままサボってんでしょ」 和未がさらっと言う。 本人は知る由もないが、当たっている。 「二人で……ってつまり、そういうことよね?」 「でしょ。なんか昨日泊まるみたいなこと沙恵言ってたし」 「あいつらもけっこうやることやってんだなぁ……」 ついてけない、といった感じで三人は軽くため息をついた。 李可が窓の外を見ながら言う。 「二人とも……今頃、どこで何してるんだろうね」 外は快晴。 きっとどこかで、この天気に負けないくらいの笑顔で笑ってるんだろう。 その頃、藤松洋一はとある大学のオープンキャンパスに来ていた。 地元にある総合大学で、偏差値もそこそこだし、海の近くにあって景色はいいし、ひそかに和未と受験してみるかなんて話していた学校だ。 学校はもう終わってしまったので戻る必要もなく、特にすることもない。 クラスメイトの真野竜樹と海沿いの道を歩いて帰る。 「藤松はここ受験すんだろ?」 「まあな。でもオープンキャンパス自体は学校休んで来るほどでもなかったかもな」 「相変わらず辛口だねおまえは。一応第一志望なんだし、堂々と学校サボれたのはラッキーじゃん?」 「それは確かにな」 「にしても、学年トップのお前がここ受けるとはなー」 「なんだよ」 「いや、意外っつーかなんつーかさ……。お前のことだから東大くらい涼しい顔して入んのかと思ってたぜ」 「記念には受けるけどな」 「うわっ、ヤな奴―。んで受かっちまったら行くわけ?」 「いや? そんなつもりもないけど」 「なんでまた……あっ、さては例の彼女と一緒の大学行きたいとかそういうことなんだろー?」 「そんなんじゃ……」 言いかけてやめた。 左に広がる浜辺に、とてもとても見慣れた人物を見つけたからだ。 (あいつらはまた……堂々とサボってるな……) 洋一はそんなことを考えて、竜樹に言った。 「真野、悪い。先帰ってくれるか」 「へ? いーけど……」 「じゃあな」 竜樹に手を上げて、洋一は今来た道を戻った。 浜辺に下りる道を探しながら、『例の彼女』にメールを打った。 『授業が終わったら、大学近くの海に集合。敬輔と飛山もな』 一方、洋一に発見されていることなど露知らず、巧と沙恵は幸せど真ん中にいた。 「静かだねー……。来てよかった」 「だなー。学校サボっちまったなぁ……」 「まあいーよ、一日くらい。あたし絶対、悪いことだと思わないもん」 「また強気だなー、おまえは」 「今日すっごい楽しかったから、明日から今までの二倍くらいがんばれそうな気がするんだー。そうしたら今日の分なんてすぐ取り返せるよ!」 言うと、巧はまた優しく優しく笑う。 そんなふうに微笑まれたら、どうしていいかわからなくなる。 なんで今も、こんなに好きなんだろう。 なんで何年も、同じ仕草に、同じ笑顔に、こんなにときめくんだろう。 こんな自分に、ちょっと呆れる。 (でも好きなんだもんねー。しょーがないじゃん) 好きすぎて苦しくなるときもあるけど。 嫌いになれたらどんなに楽だろうと思えるときもあるけど。 でも、やっぱり、隣にいる間は好きでいることしかできないと思う。 「あのね、巧」 「ん?」 「……大好き」 「オレも」 即答された。 こっちの方が照れてしまう。 いつも言われてばっかりだから、たまには言って困らせようと思ったのに。 敵わない。 「もー……なんでこんな好きなのかなぁ……」 敵わないことすら許してしまえるくらいに。 「そんなの決まってんじゃん」 巧は足し算の答えを教えるときのように当り前、という顔をして、 「オレがその倍くらい沙恵のこと好きだからだよ」 なんて殺し文句をさらっと吐いた。 どこまで天然で、どこから計算なのかわからない。 (もういいや) あれこれ考えるのをやめて、巧に寄りかかった。 どのくらい好きとかそんなことより、ただ側にいたいから。 それだけでここまで来た。 これからも、多分そんな感じなんだろう。 (それで充分) 自分より少しだけ高い体温を服越しに感じながら、それだけで満たされていく感覚に、目を閉じた。 その瞬間、キスされる。 驚いて目を開ける。 「オレに触ってるときに目つぶったらダメだっていつも言ってんじゃん」 巧はいたずらっ子のような顔で、しれっと言った。 「もー。自分がしたいだけのくせに。人のせいにしないでよねっ」 「いやーお前のせいだね」 「違うってば!」 「はいそこまでー」 いきなり仲裁が入った。 この声はもしかしなくても。 「「和未?」」 二人で顔を見合わせて、冷や汗を流す。 いつから見られてたんだろう……と不安になって振り向けない二人に、更に言葉が刺さる。 「おまえらに倦怠期とかって言葉はねーのか」 「見てるこっちが呆れるって……」 「なんか久しぶりに二人のそういうところ見ちゃったなー。ごちそうさま♪」 洋一も敬輔も李可もいる。 「沙恵」 「え?」 「逃げるぞ!」 「えっ!?」 どこに、とか訊く間もなく、手をつかまれて走る。 また巧のペースに乗せられている。 それでもいい。 どんなに自分のことを困らせても照れさせてもわがまま言ってもいいから。 呆れるほど好きでいさせてね。 そばにいさせてね。 変わらない笑顔で微笑んでね。 砂浜を走りながら、巧の背中にそう願った。 ←Back |