BEST LOVER

  まったく、女ってヤツはよくわからない。
  さっきまで笑ってたと思ったら、急に機嫌悪くなったり、怒って帰ったり。
  どうして怒ってるのか聞いたら、これまたすごい剣幕で
 「巧が悪いんでしょ!?」
  の、一点張りで。
  それじゃわかりようもなくて、わかんないから謝りようもなくて。
  膠着状態突入。
  でもそんなの、三日と続かない。
  オレたちには、お互いが必要なんだ。
  すぐに声が聞きたくなって、そこで元通りになれる。
  カレカノキャリアは四年。いい加減、そこら辺のタイミングもわかってくる。
  だからずっと続けていける。
  何より、少しくらいの波風で、この恋を手放したくなかった。
  どんなに怒られても、怒鳴られてもいいから、謝ろう。
  今回だって、それできっとこれは終わりになる。
  いつもの自分たちになれる。
  そう、思ってた、のに。



「はぁ……」
 長瀬巧は、一年以上使って年季の入った(つまりボロい)携帯電話を耳から離すと、ため息をついた。
 時刻は午後一時。
 どの高校からも程よい距離のこのファミレスには、学校帰りの学生たちがぞろぞろと集まり始めている。今日は一学期の終業式ラッシュだ。
 携帯を放り出すと、テーブルに突っ伏す。
「やっぱつながんないのか?」
 向かいに座って、そんな巧を心配そうに見ていた佐谷敬輔が、制服のネクタイを緩めながら聞いてくる。
 三宮高校指定の、鮮やかなブルーのネクタイ。
 巧はそんなもの、学校にいるときすらしていない。もしかしたらもうどこかにやってしまったかもしれない。
「ま、今更戦局は変わらねーとは思ってたけどな」
 やはり向かいに座り、巧を面白そうに眺めている藤松洋一も言ってくる。店内は混んできたせいか冷房の効果があまりなく、彼は下敷きで顔を仰いでいる。
 何でオレはこんな薄情なヤツと友達やってんだろう、と巧は悲しくなってくる。
 ……が、面白がってはいるが帰りはしないので話を聞くつもりはあるらしい。そのくらいはわかるようになった。
「携帯つながらなくなって、何日だ?」
「五日」
「電池切れじゃないのか?」
「どこの世界に充電に五日もかかるケータイがあんだよ……」
「じゃあ、僻地に行ってるとか」
「もーいいって……」
 可能性を探しているのかからかっているのかわからない洋一に手を振る。
「洋一、いい加減マジメに考えろよ。大変なんだぞ?」
 洋一の隣で敬輔がたしなめる。
 巧は心の中で涙を流す。
 (さすが敬輔! やっぱ持つべきものは親友だよなっ)
「巧が一旦落ち込むと、おれが慰めなきゃなんないんだからな」
「そっちが大変なのかよ!?」
 がばりと身を起こす。
「まあ落ち着けって。冗談だよ」
 恨みがましい目で敬輔を見る。
「で? まだ謝る気あるのか?」
 そんな巧をさらりと流して、洋一が涼しい顔で言う。
 頷いて言った。
「だからずーっと連絡つけようとしんてんだけどさ、つかねーし……。オレ、ホントに愛想つかされたのかも……」
「それは本人にしかわからないからなぁ。でも、今までにもこういうこと、あったんだろ?」
「あったけど……。そん時はこんな、電話つながんないとかなかったし……」
「今回は、何が原因なんだ?」
 洋一の問いに、五日前を思い出す。
 久しぶりに時間が合って一緒に帰った日のことだ。


「それでね、終業式までに一応、進路決めなきゃいけないみたいで」
 隣を歩いていた陸部沙恵が言った。
 巧の彼女。
 ショートカットで、見た目通りさっぱりした性格の、明るい少女だ。
 それはさておき、沙恵が悩んでいるのは、進路が決まっていないからではない。
 巧や敬輔の通っている三宮高校とは違い、沙恵の通っている星陵女子高校は進学校だ。女子大の推薦枠も多いが、一般受験する人も多い。
「決めたんだろ? 県内の私大受けるっつってたじゃん」
 以前聞いたことがあったので、そう返した。
「そう、なんだけど……」
 いつもさばさばものを言う彼女にしては珍しく、言葉を濁す。
 言いづらいことなのだろう。
「けど?」
「――やっぱり、女子大の推薦受けようかな、って……」
 やっと聞き取れるくらいの小さな声で言った。
「……」
 巧は歩いている足以外の全ての動きを止め、考えた。
 県内に、女子大はない。
 短大はあるが、沙恵の行きたい学部はない。
 ――ということは。
「県外に出るって事なのか?」
 どうにか訊く。
 相当つらそうな顔をしていたのか、自分を見ていた沙恵も表情を歪めた。
 巧はずっと前から、家から通える短大に行こうと決めていた。家の経済事情もあってそうした。間違っても国公立に入れる成績ではないこともあった。
「まだ、ホントに決めたってわけじゃないんだけど……」
「そんな、気休め言わなくていーって」
「そんなんじゃないよ」
「いーから、ホント。オレの事なら気にしなくていーから、沙恵のやりたい事やりゃいーじゃん」
 今以上離れるのは正直怖かったが、これは本音だった。沙恵の行く道の、障害になりたくはない。
 だが、そんな本音が彼女の逆鱗に触れたらしい。
「巧のバカ! 人の気も知らないで! もういいよ!」
 そう言って、走って行ってしまった。
 それきり、見かけるどころか音信不通だ。


「――ってゆーワケなんだけど……」
「そういうことだったのかー」
 敬輔にも細かくは話していなかったので、かなり驚いている。
「悪い、ちゃんと話してなくて」
「それは全然いいけどさ、巧、今回はマジでやばくないか?」
「な、そう思うだろ!?」
 意気投合しかける二人に、洋一が静かに言った。
「わかってないな、巧」
「何がだよ?」
「陸部が、何でそんなに怒ったのか」
「え?」
「だいたい、あいつは自分の事は自分で決めるだろ。俺は話聞いただけだけど、高校だってお前と離れんの覚悟で星陵に決めたんだって?」
「あ、うん、そーだけど?」
 洋一の言いたいことがわからず、巧も敬輔も曖昧に頷く。
「そんな奴が、今更大学変えるくらいでお前にわざわざ言うと思うか? 本当に決めたことならともかく」
「あ、なるほど」
 敬輔は気づいたらしい。
 自分にはさっぱりだ。
「まあ、沙恵ならそーかもしんねーけど……」
「だったら、何で本当に決める前にお前に言ったのか考えてみろよ」
 この状態を解くカギはそこにあるらしい。
 巧は考え始める。
 その横で、
「さすが明珠北の特進だよなぁ。目の付け所が違う」
「それと学校は関係ねえって」
などと二人がふざけている。……ちなみに、明珠北高校は洋一の通う県内トップの進学校(男子校)のことだ。
 と、そこへ、
「あれ? 敬輔に巧?」
「洋一まで?」
 明るい声がした。
 見ると、敬輔や沙恵と同じく中学のときからの友達、飛山李可と斎野和未だ。
「まあな。巧に呼ばれてさ」
「何の話だったの?」
 李可は空いていた巧の隣に座りながら訊く。
 洋一は立ち上がり、和未に席を譲った。
「ありがと。って洋一は?」
「もう予備校の時間だし、巧には言いたい事言ったから行く」
「巧?」
 李可が沈んでいる巧を見て、不思議そうにしている。
「ま、詳しくは敬輔にでも訊けよ。敬輔、巧に答え教えるなよ」
「わかってるって。じゃーな」
 敬輔は苦笑して、洋一に手を振る。
 洋一がいなくなると、李可と和未がわくわくと敬輔を見た。
「な、なんだよ」
「何の話してたの?」
「答えって何?」
「う、いや、話すからそんな目で見ないでくれ……。って和未は予備校いいのかよ」
「あたし今日夕方からなの。時間はたっぷりあるから、詳しく話してね?」
 迫力のある笑みで凄まれては、敬輔も話さないわけにはいかなかった。


「なるほどねー。それでヘコんでんのね巧」
 敬輔がひとしきり話すと、考え込んだまま動かない巧を見て、和未が言った。
「そういうこと」
「あーもー全然わかんねえッ!!」
 いきなり身を起こしたので、隣で和未がびくっとなる。
「確かに……それじゃあ沙恵、怒っても仕方ないかも」
「なっ、李可、わかんのか!?」
「今付き合ってる人いないけど、私だって女だもん。わかるよ。ね、和未?」
「そーゆーこと。ま、せいぜい悩めば?」
「あ――――――――っ。イラつく――――――!」
 考えても考えてもわからない。
 誰も教えてくれる気はないようだし、このままここにいても仕方ない。
 巧は鞄をつかんで立ち上がった。
「あれ、帰るの?」
「家で考える。じゃーな」
 眉間にしわを寄せたまま店を出て行く巧に、残った三人はため息をつく。
「相当参ってるみたいだね、巧」
「夏休み、あんなに楽しみにしてたのにな」
「そんだけ、恋愛に全神経傾けてるってことでしょ」
 和未の言葉に、二人はうんうんと頷いた。
 彼氏・彼女のいない二人にとっては、大変羨ましい生き方だ。
 男バス副部長だった敬輔も、男バスマネージャーだった李可も、ついこの間まで『バスケが恋人』だったのだ。
 もっとも敬輔は国公立大学を目指しているので、これからは勉強が恋人になるかもしれない。
 恋愛を軸に生きる巧・沙恵も羨ましいが、あっさりしたつきあい(に見える)の洋一・和未も羨ましい。
 二人の間に気持ちがあれば、二人に合ったつきあい方なんていくらでもある。
 まだ、敬輔と李可はそんな恋愛ができる相手に出会っていない。
 ふう、とまた軽くため息をついて敬輔が言った。
「恋に生きる、ってあいつの為にあるような言葉だよな」


 (ったく、何なんだよどいつもこいつも!!)
 まさしく恋に生きている巧は、足早に駅に向かい、電車に揺られながら静かに怒っていた。
『人の気も知らないで!』
『わかってないな』
『それじゃあ沙恵、怒っても仕方ないかも』
 言われたセリフが刺さる。
 (オレが未だに、沙恵の何をわかってないって言うんだ?)
 いや、長くつきあっているからわからないことなんてない、という思い込みがよくないのかもしれない。
 県外に行くということは、あまり会えなくなるということだ。どうにも埋められない距離ができる。
 それは確実に、二人の心にも距離を作るだろう。
 いつかは、終わりが来ることはわかっている。
 けれどそれはまだ先のことだ。
 ――と思いたい。
 四年も経てば現実も見えるようになる。でもそんな現実が与えるのは、この先への希望よりも、不安だ。
 沙恵といるのは楽しい。
 が、楽しければ楽しいほど、あとどれくらい一緒にいられるんだろうと考えてしまう。
 電車のドアにもたれかかり、ガラスに映る自分を見る。
 (オレは、どうしたいんだ?)
 沙恵と離れたくないという自分と、沙恵を応援したいという自分。
 いや、後者はただのきれい事かもしれない。
 たった五日連絡が取れないだけで、こんなに参っている。
 沙恵が県外へ行ってしまえば、五日どころではなくなるだろう。
 きっと耐えられない。
 そこまで思って、はっとした。
 (もしかして、沙恵も同じ気持ちだった……?)
 だから、決められなかったのか。
 あるいは止めてほしかったのかもしれない。
 自分の気持ちを言いたい。自分の出した答えを聞いてほしい。
 たとえあと半年足らずで離れることを、すでに沙恵が決めてしまっていても。
 『今』はまだ、会おうと思えば会える距離にいるのだから。
 時間を確認する。
 確か星陵も、今日が終業式のはずだ。
 (もう、帰ってるよな)
 ちょうど電車は、降りる駅のホームに滑り込んだ。
 反対側のドアが、巧を誘導するように開く。
 巧は深呼吸をひとつして、陽射しのきついホームへと駆け出した。


 告白したのは、自分だった。
 最初は友達だったけど、いつの間にか好きになって。
 沙恵はびっくりしながら、それでもOKしてくれた。
 そういえばあの日も、自分は沙恵の家へ走っていた。
 冬だったから雪道で、三回くらい転んだ。
 一生懸命なんて言おうか考えながら走っていたら、
「巧!?」
 そう、こんなふうに呼び止められて……。
「って、え、沙恵!?」
 本当にそこに、沙恵がいた。
「何で……」
「今巧がこっちに向かってるって洋一がメールくれて」
 携帯を見せられる。
 あの野郎、と心の中で毒づく。面白がってるだけだと思わせておいて、最後の最後でこんな演出しやがる。
 (やってくれるぜ……)
 おかげで、考えてきたことがすべてふっ飛んでしまった。
 どう切り出そうかと、走ってぐしゃぐしゃになった髪をかき上げる。
 ふと気づいた。
「沙恵、それっ! 何でつながってんだよ!?」
 そうだ、彼女の携帯は不通だったはず。
「あ、コレ? あたしこの間、水溜りに落っことしちゃって」
「……いつ?」
「五日前かなぁ。巧に怒って走ってたとき」
「それでか……」
 よく見れば、微妙に機種が変わっている。
「洋一とは駅おんなじでしょ? 今朝会ったから番号とメアド聞いたの」
「あいつそんなの一言も……」
「え?」
「いや、なんでもない」
 つくづく底意地の悪いヤツだ。
「じゃあオレに連絡しなかったのは、怒ってたからじゃねーのか?」
「最初はそれもあったけど……。いざしようとしたらメモリ消えてるんだもん。連絡しようがないでしょ?」
 急に脱力して、思わずその場にしゃがみこんだ。
「そっかー何だよもー紛らわしいことすんなよなー」
「た、巧?」
「あ。悪い悪い」
 慌てて立ち上がると、言った。
「とりあえずウチ来ねーか? 話、あるし」
「話……?」
「いーから来いって」
 強引に沙恵の手をつかんでひっぱっていく。
 五日分の生命力を取り戻せた気がした。

 巧の家は、大通りに面したマンションの五階だ。
 2LKの間取りに、母親と二人きりで住んでいる。
 女手ひとつで一人息子を育てている母親は、夜遅く帰ってくる。
 沙恵もそこらへんの事情は知っているので、遠慮なくあがる。
 部屋に入ると、ますます何を言えばいいかわからなくなってしまった。
 でも、自分が先に言わないと。
「あの、巧……」
「ごめん」
 いきなり謝ってしまった。焦りすぎだ。
「いや、あの、そーじゃなくて……。とにかく、五日前のこと謝んねーとと思って」
 面食らった沙恵が、いきなり笑い出した。
「何だよ!? 人が真剣に話してるってのに」
「ご、ごめん。あたし、別れ話かと思ったから」
「え」
 それで、家に来るとき一瞬ためらったのか?
 ………………。
「んなワケねーだろ!? どーしてお前はそう早とちりなんだよ!?」
「あはは、ごめんってー。ちょっと待って、久しぶりに声聞いて安心したら、止まんないー!」
 なんで安心すると大笑いするんだろう、という疑問はこの際しまっておく。
 (でも、安心、ってことは)
 沙恵もいろいろ不安になったりしたのだろうか。
 何だか急に近くなれた気がして、思わず抱きしめた。
「ちょっと、巧!」
「いいから、黙って聞けって」
 直接伝えたいが、面と向かっては言えそうもない。
 ゆっくりと、口を開く。
「オレ、この間、沙恵のやりたいことやればいいって言ったけど」
「うん」
「やっぱ嫌だ」
「は?」
「沙恵には悪いけど、オレ、結局お前と離れたくねーんだ。まだ、終わりたくねーしさ」
 沙恵が頷く。
「だから、これ以上離れるのは嫌だ。……もう、決めたってんなら仕方ねーけど……」
 今度は頷かなかった。
 返事もない。
 ……だんだんと不安になってくる。何かマズイ事を言ったか?
「……ありがと」
「え?」
 いきなり言われて、顔を見た。
「巧がそう言ってくれるんなら、あたし、やっぱり残る。今決めた!」
「い、いいのかよそんな簡単に……」
「あの時怒ったのはね、巧はあたしがいなくても平気なんだーって思っちゃったからなの」
「はあ?」
 全く逆のことを考えていたのに?
「不安だったの。あたしだって巧と離れたくないし、側にいたいんだよ。でも、それはあたしだけなのかもしれないって思って……」
「もしかして、試した?」
「少し。でも、県外出ようか迷ってたのはホント。巧こそ、あたしのこと応援するとか言っちゃって。全然嘘じゃん」
「……じゃあ、オレたち、同じ事で悩んで勝手に誤解してたってことか?」
「そーみたい、だね」
「なんだよもー」
 どっと疲れた。目を閉じて長く息を吐く。
 沙恵を抱きしめ直す。
 蓋を開けてみれば、簡単なことだった。
 洋一が言っていた沙恵の気持ちも、何てことはない、自分の不安や迷いのことだったのだ。
 急に、何かが唇に触れた。
 驚いて目を開けると、沙恵がにっこり笑って言った。
「仲直り記念、ね」
 久しぶりの笑顔を見ながら、これで最後だといいなあ、とかぼんやり考えてしまった。



fin.


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