BEST FUTURE


 飛山李可、高1の12月。
 それは突然やって来た。

「えー、それじゃぁ今配った用紙に希望の進路をちゃんと書いてくること。それを基に来週から個人面談するからなー」
 李可は、冷や汗を流して机の上のプリントを見つめた。
 期末テストも今日で終わり、あとは冬休みを待つばかりとなった。教室はにわかに浮き足立っている。
 今日は部活もないので、久しぶりに沙恵や和未とのんびり帰ろうかと思っていたが、突然現実を目の前に突きつけられる。
 担任の話は続いていく。
「あと来年からは進路別にクラス分けるからな。ちゃんと書いてこいよー。じゃ、終わり」
 級長が号令をかけて、ホームルームが終わると一斉に騒がしくなる。
 李可はまだプリントを見つめていた。
「どーしたの?」
 いきなり肩に手を置かれて、驚いて振り向くといつのまにか和未がいた。
「あ、れ……和未……?」
「あれじゃないわよ。ぼーっとしちゃって、どしたの? あんまり出てこないから見に来たら、まだいるんだもん」
「ごめん……」
「謝るのはあとあと。下で巧と敬輔も待ってるから、早く行こ」
「うん……」
 李可はプリントを鞄にしまうと、急いで支度をして玄関へ向かった。

「あ、来た来た。李可、どこにいたんだよ?」
 巧がいつもと変わらない調子で訊いてくる。
「まだ教室にいたわ。巧、同じクラスなんだからちゃんと連れてきてよねー」
「悪かったって。敬輔がすぐ来たからそのまま出ちゃったんだよ」
「って、そういえば敬輔は?」
「あんまり寒いからなんかあったかいもん買ってくるって自販機……あ、来た」
 巧の指す方を見ると、モスグリーンのコートを着た敬輔が走ってくる。
「李可、いたんだ?」
「うん、教室に。敬輔、全員分買ってきたの?」
 和未が敬輔の手元を見て目を丸くする。そこにはコーヒーや紅茶の缶がきちんと4本あった。さすが敬輔、全員の好みを熟知している。
 敬輔は「だって寒いだろ」とか言いながらひとりずつ手渡す。ふと、李可の顔を見て動きを止めた。
「? 敬輔?」
「……あ、いや、何でもない」
 そのまま紅茶を飲みながら4人で歩く。
「洋一と沙恵、もう来てっかなぁ」
「かもね。この分だと10分遅刻ってとこ? また怒られそう」
「あいつらルーズそうに見えて一番きっちりしてるからな、そういうとこ」
 前を歩く巧と和未の会話を、李可は何となく聞いていた。二人は片親で育ったという境遇が同じなせいか、何だかんだ言って仲が良い。同じ寂しさを知っているからだろうか。
 (そういえば……巧はどうするんだろう……)
 同じ片親でも、父親と暮らす和未と母親と暮らす巧では、当然経済状態に差も出る。巧は公立に落ちて今の三宮高校に来たと言っているが、公立をわざわざ受けるということはそれだけ厳しいということだ。逆に和未は、初めから三宮だけを受験したし、今も予備校に通っている。大学へももちろん行くつもりなのだろう。
 (和未と洋一はともかく……、みんなは何かあるのかな)
 この先、やりたいことが。
 あの、進路希望調査のプリントが入っている鞄がやけに重く感じられる。
 先のことなんて考えずに、毎日楽しく過ごしてきた。
 何をやりたいかとか、何になりたいかとか真剣に考えたこともなかった。
 いきなり、夢から覚めた気分だ。
「李可? どした?」
 隣で敬輔が声をかけてくる。
「え? ごめん、何でもないよ。ちょっとぼーっとしてただけ」
「そっか?」
 敬輔が不思議そうな顔をする。
 多分バレているだろう。
 何か心配ごとがあること。
「今はいいけど、辛くなったら言えよ?」
「うん。ありがと」
 敬輔はいつもそうだ。
 無理矢理踏み込まず、かと言って完全に放っておくわけでもない。人との距離のとり方がうまい人だ。
 敬輔に限らず、巧も洋一も、言葉こそ違うけれど元気のない人がいれば密かに心配している。ただ、性格なのかそういうことを隠してしまう李可の悩みや心配に気付くのは敬輔だけだった。
 中1の頃、大げさでなく自分を“救って”くれた敬輔にはいくら感謝してもしきれない。今もこの先も、ずっと大事な親友。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 それを不思議がる人もいるけれど、自分達はこれでいい。今のままで。
「あ、いたいた」
 巧の声に顔を上げると、洋一と沙恵が待っていた。
「もー、遅いよー」
「ホントにその遅刻癖どうにかなんねーもん?」
 口を開くなり文句を言われる。
「ワリィ、ホームルーム終わんのが遅かったんだよ」
「え?」
「そーだよな、李可?」
 巧が含みのある笑顔を向けてくる。
 李可はそんな気遣いが嬉しくて、笑顔になって答えた。
「そうそう。せっかくテスト終わった日なのにあの先生、話長いんだもん」
「あー、いるいるそういう先生」
「でしょ? 待たせてごめんね。どっか入ろ?」
「そーだな。寒いしな」
 敬輔と同じくらい寒がりの洋一が、本当に寒そうに言った。


 結局いつも6人で溜まっているファミレスに行き、注文したものが運ばれてくる。
 李可は少し迷った挙げ句、切り出した。
「あのね、突然で悪いんだけど……みんなは進路とかってもう決めてるの?」
「ホントに突然ね……」
「あ、もしかして今日もらったやつ?」
 巧がぴんときて、鞄から進路希望調査書を取り出す。
「あぁ、もらったもらった。来年のクラス分けに使うからとかって」
「うん……でね、進路決めてるのかなって」
「李可は?」
 敬輔に訊かれる。が、もう大体わかっているような顔だ。
「……まだ」
「そっか、それで今日元気なかったのね。しょっちゅう考え事してるからどーしたのかと思ってたけど」
 和未があっさりと言った。案外バレていたらしい。
「っつったって、まだ1年だろ? そんな急に決めることでもないんじゃないか?」
「そりゃまあ……。でも、洋一も和未も大学行くために今から予備校行ったりしてるでしょ?」
「してるけど。そんな目標のための努力なんて目標決めた後だっていくらでもできるだろ。焦って、見当違いなことやるよりはゆっくり考えた方がいいって」
「そんな悠長でいいのかなぁ……。うーん……」
 洋一の言葉を噛み締めながら運ばれて来た飲み物に口をつけていると、巧が言った。
「そーいやさ、洋一と和未と敬輔って大学行って何すんだよ?」
「あれ、敬輔も四年制目指してるんだっけ?」
「一応な。そんなレベル高いとこは無理だけど」
「で、何すんだ?」
 巧の目が輝く。1年ですでに留年が近づいている彼にとっては、大学に行くという選択肢は憧れそのものなのだ。話を聞くだけでも楽しくてしょうがないらしい。
「俺は薬学やんだよ。んで薬剤師になる」
「へぇ〜。医療系かぁ。妙にはまるねー。和未は?」
「あたしは……何になるかはまた進学したら考えるけど。いちおー理学部進むつもり」
「和未、理科系得意だもんな」
「洋一ほどじゃないけどねー。まあ、好きだし。そーいえばあたし敬輔が四大行きたいなんて初めて知ったんだけど、何やりたいの?」
 全員が敬輔に注目する。彼が四大に行きたいことを知っていたのはどうやら巧と李可だけのようだ。
 敬輔は5人の視線に圧されながらも口を開いた。
「……き、教育」
「そうなんだ!?」
「はぁ〜、そう来るとは……」
「な、なんだよ!? そんな変か!??」
「変じゃないよ。むしろぴったりじゃない?」
「かもな。教育ってことは教師になりたいとか?」
「あ、ああ……。小学校の。けっこう昔からの夢で」
「そうだったのかー。まぁ、お前なら部活やりながらでも四大行けるって!」
「巧と違って頭いーもんね、敬輔は」
「沙恵っ、またお前はそーいうこと……」
「だってホントじゃーん」
 だんだん口ゲンカに発展しそうな二人の話題を、洋一が逸らす。
「じゃあ、巧。おまえの進路は?」
「オレかー? オレは短大」
「短大? ってあの割と近くの?」
「そ。オレただでさえ公立滑って親に迷惑かけてっからさ。これ以上負担かけれねーの。あそこなら家から通えるし。まあ、入れなかったらすぐ働いてもいーし」
 あっけらかんと言ってのける巧を、みんなが少し複雑な面持ちで見ていた。
 母親と二人で生活してきて、私立に入ることになってしまって、多分そんなに余裕のある生活でもないのに、巧はシビアな現実の中でまっすぐに生きている。
「んな顔すんなって。みんなが思ってるほどオレ大変じゃねーんだから」
「……そうなの?」
「うん。今バイトもしてるしさ。ホントは短大行かなくてもオレはいいんだけど、母さんがどうしても行かせたいらしくて。オレだって洋一とか敬輔みたいに頭良かったら四大目指して、ちょっと自慢できるようなとこ入ってやりたいけど無理だし。だからちょっとがんばって短大くらいはな」
「親思いなんだよね〜、巧は」
「ちょっと待て巧。それってもう進路決めてるとか親思いって言えば聞こえはいいけど、結局今の成績からじゃ選択の余地があんまりないってことだよな?」
 敬輔が焦って言った。
 毎回テスト前に勉強を見ている敬輔はもちろん巧の成績は知っている。このまま下がり続ければ学年最下位の日も近いだろう。
 そんな敬輔に、巧はまた明るく言い放った。
「あ、バレた?」
 (((((不安……)))))
 しっかりしてるんだか抜けてるんだか。
 でも、沙恵が巧を放っておけない訳が何となくわかった。


 みんなと別れた後、李可は敬輔にくっついて彼の家に行った。
 家と言っても、敬輔の家は彼の父親がやっている病院と併設されているので、病院に行くという感じだ。
 李可は悩みたいときや泣きたいとき、こっそり病院の屋上に入れてもらっている。もちろん、敬輔の計らいだ。
 まだ、誰かを完全に信じたり頼ったりするのは少し怖い。
 今まで好きになった人は、みんな恋人がいた。無意識にそういう人だから好きになっていたのかもしれないけれど。
 とにかく、一番近くで支えてくれる人のいない李可にとって、ここは敬輔と仲良くなった頃からの逃げ場所だった。敬輔も彼女をつくるつもりもあまりないらしくて、他愛もないことから人生相談のような悩みまで、いろいろ話してきた。
 6人でいるのは大好きだけど、恋人同士である他の4人には壁も感じたりしないわけでもない。
 それは敬輔も同じなのかもしれなかった。
「うわっ、寒っ」
 ドアを開けるなり敬輔が顔をしかめた。
「だから先家帰っていいって言ったのに」
「そんなことできるわけないだろー? ここひとりでいたらここに来る意味ないんだから」
 コートの前をあわせながら、二人でフェンスに寄りかかって座る。
「……李可」
 ふいに敬輔が口を開いた。
「ん?」
「洋一も言ってたけどさ……あんまり焦るなよ。まだ高1なんだし。そればっかりに囚われすぎて、他の大事なこと見えなくなったら何にもならないし」
「うん、わかってる。でもびっくりしちゃったなぁ、みんなあんなにしっかり考えてるんだ」
「誰だってやりたいことは出てくるもんなんだよ。いつそれを見つけるかが違うだけで。和未だって、何になりたいかはわからないって言ってただろ? 巧だって沙恵だって、まだ高校生活はあるんだし、変わるかもしれないし」
「そうだね……」
「高校って何にもしなくても、友達といるだけで楽しいからな。そういうこと考えるの、忘れちゃったりするんだよな」
「ほんとにそうだった……。まだ、この先はあるのにね」
 バスケ部のマネージャーも面白くて、友達もたくさんいて。
 毎日いっぱい笑って、しゃべって。
 未来を形にすることを、少し忘れてしまっていた。
 もう少しだけ、ここで立ち止まっていることもできるかもしれない。
 でも、歩き出すこと――考えることだけでも、少しずつやっていかなければ、見ることのできない空もあること。
 やっと気付いた。
 周りがどんなに先に進んでいても、関係ない。
 ここから、自分の未来に向かって歩き出す。自分のペースで。
 たくさん悩んで迷って。
 そうして進んだ先には、後悔のない未来が待っているはずだから。

「敬輔、私決めた」
「何を?」
「とりあえず、いろんなことやってみる」
「いろんなことって?」
「それはわかんない。でもいろんなことやって、好きなもの増やして、その中からやりたいこと見つける」
「……いいじゃん。李可らしくて」

 自分らしさを忘れずに、ゆっくり歩いていこう。

 冬の星空の下で、そう思った。



fin.


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