BEST ENCOUNTER 予備校を出ると雨が降っていた。 「参ったなー……」 斎野和未は、灰色の空を見上げてつぶやいた。 ここのところ天気予報はいつも雨だと言いながら降らなかったものだから、今日もそうだろうと油断して傘を置いてきたらこれだ。 ふいに、突風に煽られて手に持っていたプリントが飛ぶ。 「あ」 慌てて手を伸ばした。 と、べつの手がそれを掴んだ。 (あれ、この人って) プリントをすごいタイミングでとった相手に、見覚えがあった。 話したことはない。 でも志望学部が一緒なのかなんなのか、クラスが同じ科目が多いから何となく覚えていた。 (確か、藤松洋一) このあたりでは最高峰の学力を誇る進学校・明珠北高校の制服。 そこのトップなんだとか誰かが噂しているのを聞いた。 その藤松洋一が口を開いた。 「……あんたの?」 「え? あ、そう。ありがとう」 「そんな睨まなくたってちゃんと返すから」 「は?」 どうやら知らないうちに見ていたらしいが、睨んでいたとは失礼な。 プリントを返してもらいながら言い返した。 「べつ睨んでなんか」 「入れば」 いきなり遮らた。 主語も目的語もない。 ぞんざいなしゃべり方。しかも偉そう。 「え?」 「傘、ないんだろ」 「ないけど……」 「電車で帰るんなら入ってけば」 どうして話したこともない自分を傘に入れてくれるんだろうとぼんやり考えながら、流されるように和未は洋一の傘に入った。 「あの、藤松君」 しばらく黙々と歩いていたのだが、その沈黙に耐えきれなくなって和未は口を開いた。 「……名前、俺言った?」 「言ってないけど知ってる。有名だし」 「そーなんだ」 「なんであたし入れてくれたの?」 「べつに。困ってた感じだったから」 本当にそれ以上の理由がないというような口振りだ。 (つまり気紛れ、ってわけ?) よくわからない。 「確かに傘持ってなかったけど……。話したこともないのに」 「ないけど、知ってる。化学と数学同じクラスの斎野和未だろ」 「何で、名前まで……。あ、さっきの見た?」 さっき飛ばしてしまったプリントはこの間の模試の結果だった。 クラスと名前が記載されているから、その時に見て知ってもおかしくない。 「違う。でも知ってる」 なんで、と訊こうとしたら駅に着いてしまった。 「ありがとう、ホントに」 言いながら、今日初めてきちんと正面から顔を見た。 均整のとれた顔つきだった。瞳に力がある。 「礼なんていい。気紛れみたいなもんだから」 じゃあな、と改札へ向かう洋一の背中に思わず叫んだ。 「……どうしてあたしのこと知ってるの!?」 どうしても、それが知りたかった。 ホームに電車が入って来るのが見える。あれを逃したら次は30分後だ。 でも動けなかった。 「――ずっと見てたから」 それだけ言って、洋一は改札を抜けていってしまった。 「それでそのあとどーしたの?」 テーブルの向かいで、陸部沙恵が瞳を輝かせて訊いてくる。 次の日の放課後、和未は学校の近くのファミレスで、事の顛末を彼女に話していた。 沙恵は中学の頃からの親友で、高校が別々になった今もよくこうして学校帰りに会っていた。 ショートヘアに、ちょっと童顔で小柄、星陵女子高校の制服とくればなかなかモテそうな気もするが本人曰く「そうでもないよー」らしい。 「どーしたって……とりあえず電車に乗り遅れて」 「うん」 「次の電車で帰ったわよ?」 「はい?」 沙恵が変な顔をした。 「何よ」 「あのさー、和未。そこまで言われといて帰るかなフツー」 「だって相手さっさと帰っちゃったのよ。言及のしようもないじゃない」 「そういうことじゃなくてさぁ……」 沙恵はテーブルに突っ伏す。 「告白されたわけでしょ? この次会ったらどうするの?」 訊かれて、目を見開いた。 「あれって告白になるの?」 途端に沙恵ががばりと起きあがり言った。 「充分なってるじゃん!!!」 「そーなんだ……」 「かわいそー藤松クン。言ったのに気付いてもらえないなんて……。だって、『ずっと見てた』から、名前も顔も知ってるわけでしょ? それって、好きってことじゃん」 「そう、なの、かな……」 微妙な返事をしてしまう。 気紛れに自分を傘に入れるような人だ。あまり深く考えないでものをしゃべるタイプに見えた。 第一話したこともない人にそんなこと言われてもいまいち実感がない。 「もっと自信持って! 和未なら黙ってても男ひとり落とすくらいできるんだから」 「――昼間から不謹慎なコト言ってるなーおまえら」 急に横から別の声が入ってきた。 「あ、やっと来たー。遅いよ〜」 「悪い悪い。巧の追試が長引いたんだよ」 「オレのせいかっ!?」 「当たり前でしょ? せっかく練習早く終わったのに、巧のせいでこんな遅くなっちゃって」 長瀬巧、佐谷敬輔、飛山李可の3人が口々に言いながら二人のいる席につく。 この3人も中学の時からの親友で、和未と同じ高校に通っている。 茶髪で犬みたいに人懐っこく、突き抜けた性格の巧は沙恵の彼氏で、中学からつきあっている年季の入ったカップルだ。 背が高くでいかにもスポーツマンだけどどこか抜けた感じの敬輔は男子バスケ部で、バスケをやりながら国立大も目指しているという努力型の人間だ。 その男バスのマネージャーを李可がやっている。中学からのマネージャーをやっていただけあって、今では敏腕マネージャーとして名を馳せている。高校に入ってから伸ばし始めた髪にゆるいウェーブをかけている。ちょっと内気だけれど気配りのできる優しい性格だ。 一学期の終業式も迫った今日は、男バスの練習を早めに切り上げたのに巧が期末テストの追試で遅れたらしい。 「あーまずったなー。こんなになるなら期末クリアしとくんだったぜ」 オーダーを終えると、制服のネクタイを緩めながら巧が言った。 「おまえのそのセリフ、期末テスト終わる度に聞いてるぞ」 「うるせーなっ。今回こんなに追試あると思わなかったんだよっ」 冷静な敬輔に巧が食ってかかる。いつものことだ。 「――で、二人で何の話してたの?」 李可が、ずれてしまった話を戻した。 「そーだった。和未が昨日告白されたの!」 「ええ!?」 「誰に!?」 「予備校でか?」 3人に一斉に驚かれ、和未は少し困る。 「えーっと、うん、まあ、そういうことみたい」 「みたい?」 「まー相手の言い方も微妙なんだけどねー」 「何て言われたの?」 「『ずっと見てた』って」 「それってカンペキそーじゃん」 「ものすごくシンプルだけどな」 巧と敬輔がうんうんと頷く。 「で、相手どんなヤツだよ?」 「いかにも理系ってカンジの顔でねー。フレームない眼鏡かけてて整った顔で。制服から判断すると明珠北高?」 「すげーハイレベル」 「なんでそんな男が和未を」 「さりげに失礼ね敬輔。いーけど。確かにクラスが同じこともあるからあたしも顔と名前くらいは知ってたけど……。話したのは昨日が初めて」 「不思議な出会いだな」 「そう思うでしょ!? だから実感ないっていうかなんていうか……」 「まーそこは会ったときにでも確かめりゃいーじゃん」 「ねえねえ和未」 「ん?」 「告られたのってあんな感じの人?」 李可がガラス張りの向こうを歩いている人物を指差す。 「そーそーあんな感じ……ってあれ本人!」 『えー!?』 4人が仲良くハモってガラスにへばりついた。 「あの人かあー。ホント理系顔だねー」 「今まで告白された人の中でもかなり上のレベルなんじゃない?」 「確かになー」 「断る理由ねーじゃん」 今度は一斉に和未を見た。 『で、これからどうする?』 (どうするって言われたって……) 家に帰ってベッドに横になり、ぼんやりと考えた。 時間は午後7時。 高校入学と同時に両親が離婚して、今は父親と二人暮らしだ。父親は仕事が忙しく、他に恋人もいるらしいので滅多に帰ってこない。いろいろ干渉されるのが嫌いな和未にとってはむしろありがたい部分もあるが。 こんなときは、ひとりで考えていても心が晴れるはずもない。 思えば夕食を摂っていなかった。 気分を変えるためにコンビニにでも行こうと、外に出た。 いつのまにかまた雨が降っている。 それが昨日のことを連想させて、逆効果だった。 (だって話したこともないのに。だいたい今まで何回か告白されたけど全部話したことない人だったから断ってて誰ともつきあったことないし) 黙々と考え続ける。 (どーしていーかなんてわかんないわよ……) はっきり言われたわけでもないから、それも困っているのだ。 みんなはそうだそうだと言うけど、その気になって返事をして違ったら自分が相当な自惚れ人間だと思われるだけだ。 確信がないうちに動くのが、和未は何より嫌なのだ。 コンビニで適当に食料を買って出ると、雨は更にひどくなっていた。 「ホントどーしよ……」 ため息をついていると、店から誰か出てこようとしているので慌てて横によけた。 「……あ」 その人物を見て、思わず言ってしまった。 「あれ」 向こうも気付いた。 「……藤松君」 こんなに早くまた会ってしまうなんて予想外の展開に和未は動転してそれ以上何も言えなかった。 「どーしたんだ、こんな時間に」 洋一の方は何事もなかったかのように話しかけてくる。 その様子を見て、きっとあれは告白なんかじゃないんだと思った。 そう思えば普通に話すくらいはできる。 「どうって……買い物」 「ひとりでか?」 「そーだけど」 「送ってく。家どこ?」 「えっと……」 言おうとして気付いた。 ここは自分の家から大して離れていない。 洋一もここに来ているということは、家が近い? 「藤松君こそ、どこ住んでんの?」 「俺はこっから結構あるけど。って、ココに来るってことは斎野のうち近くなわけ?」 和未はすっと10階建てのマンションを指差した。 「あそこの8階」 「高そうなとこだな。まさかひとり暮らし?」 「まさか。父親と二人。両親が離婚したから」 「ふーん……」 洋一の反応に少し気が抜けた。 他の人のように、離婚したと聞いても謝ってくるでもなく(謝られても困るのだが)、自分の家のことを離すでもない。本当に他人はどうでもいいと思っているような言い方だった。 「まあ、近くでも用心するに越したことねーだろ、送ってくって」 「あ、ありがと……」 そう言って二人は歩き出した。 今度は傘は二本あった。 夏休み中の夏期講習のことなど他愛もない話をした。やっぱり何教科かはクラスが同じだった。 「やっぱり化学ってあの先生なのかなー」 「そーだろ。俺あいつの授業ヒマで眠くなんだけど」 「あたしもー。……、痛ッ」 ふいに髪が傘の骨に引っかかってしまった。 見えないので自分でとれない。 「どーした? あ、ちょっとじっとしてろ」 気付いて、洋一は自分の傘を置いて髪の毛をほどき始める。 しばらくして手が離れた。 「よし、とれた」 「ありがとう」 和未がそう言っても、洋一は何も答えず、視線も逸らさなかった。 あのときの瞳だ。 改札を抜ける一瞬前の。 射抜かれたように動けなくなる。 傘を置いていたせいで濡れた洋一の髪や顔を見ていたら、なんだかとても切なくなってきた。 突き動かされるような衝動があった。 二人は、どちらからともなく、唇を重ねた。 次の日、和未は熱を出して学校と予備校を休んだ。 昨日雨に打たれたせいだ。 眠気にまかせて思いきり寝たが、午後になると全く眠くなくなってしまった。 もうずっと帰ってきていない父親は、娘がこうして学校を休んでいることも知らないのだろう。 今更そんなことには慣れていた。 風邪をひいても誰も看病してくれないし、その日あったことや明日のことを聞いてくれる人もいない。和未はずっと、そうしてひとりで生きてきた。 誰かに寄りかかったら、その人が離れていくのが怖い。 だから恋人はいらなかった。 友達は気が合えばずっと友達でいられる。巧とも敬輔とも、今のままでいるのが一番良かった。 学校に行けば李可や他の友達もたくさんいる。今更、友達以上に誰かと近づきたくなかった。 でも。 (本当は、頼ってもいい人が、ほしかったのかもしれない) 洋一とキスしたことで、明らかに友達より近い場所に入れてしまった。 理由とか、洋一が他の人とどう違うとか、そんなことはどうでもよかった。 ただあの時、そうしたかったからそうした。それだけだ。 いつか巧が、『人を好きになるのに、理由なんかない』と言っていたけれど、ホントにそうなんだなと思った。 きちんと好きと言われたわけでもなく、自分も言ったわけでもない。 そんな始まりでも、ちゃんと気持ちは通じた気がした。 熱が下がって登校したのは、それから二日後の終業式の日だった。 三日連続で休んだのは初めてで、えらく心配されてしまった。 洋一とのことを報告すると、4人はとても喜んでくれた。 学校が終わると、いつもとは違う気持ちで予備校に向かった。 着く前に、誰かに呼び止められた。 「和未」 今日から自分のことを名前で呼ぶ、自分に一番近い人の声。 和未は振り向いて言った。 「洋一!」 洋一は微かに微笑むと、和未の手をとった。 そして二人は歩き出した。 ←Back |