好きということ


 もう一度、思い出してみよう。
 その日は、チョコを渡す日だった?



「で、俺にどうしろと?」

 テーブルを挟んだ向かいで、若月佑真が眉を顰めた。
 外はうっすら雪が積もっていたけれど、掘っ立て小屋と呼ぶに相応しいプレハブの部室は、古さの割に足元に置いたストーブのせいかいい感じにあったかくて、椎名美琴は佑真と対照的にゆるみきった顔をしていた。
「うん、だからね、さぞかし恋愛経験の豊富であろう若月に助言を」
「その前にそれ、冷蔵庫に入れた方がいいぞ」
 佑真は美琴がテーブルの上に置いた包みを指した。
 もちろん中身はチョコレート、だ。残念ながら佑真宛てではない。
 言われなくたって知っている。
 そのチョコレートはここにはいない彼、月岡航へのものだと。
「そんなすぐ溶ける?」
「高けりゃ高いほどあっという間だぞ」
「じゃー大丈夫かも」
 美琴が苦笑する。
 直前まで渡すか渡さないかも迷っていた(しかもそのときから佑真も巻き込まれていた)くらいだから、前々から準備していたわけではない。
 その慌ただしさ相応の値段、というわけだ。
 最も仮に美琴と航がつきあっていたとしても、美琴が驚くほど高いチョコレートを用意するような性格でないことは十分承知しているけれど。
 件の航は授業に出ていていない。
 4限目の授業が終わって彼が戻ってくるまでの間が、美琴にとっては勝負だ。
 美琴が一応チョコレートを冷蔵庫に入れて座り直す。
「んで本題だけど、俺は何について助言すればいいわけ?」
「何て言ったらいいかなあ、って」
 そんなの自分で考えろよ、と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。
 美琴は助言が欲しいというよりも、多分落ち着かなくて話を聞いて欲しいだけなのだ。適当に本音を引き出してやればいい。
「なんかこう……これだけは言っときたい、みたいのない?」
「だからそれ、自分の中でまとまってたらこんな苦労しない」
「歌えば?」
「チョコ渡す前にちょっと待って、とか言っていきなり歌うの? やだそんなミュージカルみたいなの」
「だったら直球勝負しかねえじゃん」
「そうなんだけど……。うーん……」
 美琴は唸りながらテーブルに突っ伏す。
 何がどうまとまらないのかよくわからないので、佑真はそれ以上何も言えず黙っていた。
 自分と美琴は出会って半年くらいの、バンド仲間だ。
 と言っても、大学に入ってバンドサークルに入って最初にバンドを組んだのは今授業中の航に誘われて、だった。
 航は人当たりのいいフレンドリーな性格で、ギターも上手かった。佑真も高校のときからしていたベースをそのまま続け、もうひとりドラムのメンバーも含めてそれなりにやっていた。
 ただ、ボーカルだけはライブの度に変わっていた。どうしても馴染まなかったのだ。
 そんなとき、どこでどう知り合ったのか、高校の頃天才ボーカルとしてちょっと有名だった美琴を、航が連れてきた。
 美琴はデビューを目前にして声が出なくなり、デビュー構想から外された。
 航のことだ、上手いこと説き伏せて断れない状況も作って、引きずり込んだに違いない。
 普段見せている面とは裏腹に、殊に音楽に関してはものすごい熱意を見せる。歌うことがトラウマだった美琴を再び歌わせるあたり、只者ではないなと佑真は踏んでいる。
 そして、これは今の美琴には絶対言わないが、航は多分美琴が好きだ。
 その美琴は目の前で、もうすぐ航にチョコレートを渡そうとしている。
 両方の気持ちを知っている佑真としては大変楽しめる状況だった。
「やっぱり、渡すだけにしよっかなぁ……」
 ぽつりと美琴が呟く。
「何にも言わないで?」
「うん。いろいろ考えたけど、ダメ。一回しゃべりだしたら多分、わけわかんないこと延々しゃべってそう」
「その方が伝わるってもんじゃねえの?」
「かもしれない。でも、せっかくだから……落ち着いて普通に渡したいっていうか。それに、渡したらわかってくれそうじゃない?」
 確かに、航なら拒みはしないだろうし、もしかして自分のこと、くらいまでは思うかもしれない。
 でもそれだけじゃ。

「……椎名が、どういうつもりで渡したかは、いくらあいつでも絶対わかんねーと思う」

 知らない間に、言葉が転がり出ていた。
 美琴が驚いて目を見開く。
「どういうつもりって?」
「要は義理か、本命かってこと」
「やっぱ、そこまで伝わるって思うのは虫が良すぎ?」
「良すぎ」
「はー。やっぱしちゃんと言った方がいっかー……」
 佑真は頷く。
「ねえ! 航はあたしのことどう思ってると思う!?」
「なんだよまたいきなり……」
「だってそれわかってたらちょっとは伝えやすくなるかもしんないし。若月のことだから何か知ってんでしょ? ねー教えてーー!」
「だからそれ確かめんのに渡すんじゃなかったのか?」
 う、と美琴が言葉に詰まる。
 本末転倒とはこのことだ。
「もういっぺん、シンプルに考えてみろって。椎名は世間一般の『好き』に囚われすぎ。自分に正直になってみ?」
「シンプルに、ね……」
 言われた通り、航のことを考える。


 どこが好きとか。
 なんで好きとか。
 正直、そんなのよくわからない。
 知り合って長いわけでもないから、そんなに航のことを知っているわけでもないし。
 だけど。
 でも。
 例えば、帰り道で夕焼けが綺麗だったとか、
 星がよく見えるとか、
 気に入ったCDを見つけて、聴かせたいと思うとか、
 逆に、単位落としたとか、
 ライブのチケット取れなかったとか、
 バイトで怒られたとか、
 自分が好きなことやへこんだことを一番に聞いてほしいと思うのは、決まって航だ。
 それだけで、充分『好き』ってことに、なると思う。
 『好き』の形はさまざま。
 百人いたら百通りの形があって当り前。
 佑真の言うとおり、よく言われる『好き』に、足元をすくわれていたかもしれない。

 正直に、いま思ったことを言おう。
 わかってもらえたら、チョコレートを受け取ってもらおう。


「なんかつかめた?」
「うん、そんな気がする。若月、ありがと」
「俺は何も」
「ううん、あたし勘違いしてたから。バレンタインは、チョコを渡す日じゃないよね。本当は、気持ちを伝える日なんだってこと、忘れてた」
「それだけわかれば上等」
 佑真は含みのある笑顔で頷いて、時計を見た。
「考えてる間にちょうどいい時間になったな」
 美琴も時計を見る。
 4限終了、5分前。
 美琴は冷蔵庫に入れたチョコレートを取り出す。
 部室を出ようとして、振り返った。
「結果がどんなんでも、聞いてくれる?」
「もちろん」
「ありがと。じゃあ行ってくるね!」
 ぱっと笑顔になったと思ったら、次の瞬間いなくなっていた。
 美琴がさっき何をつかんだかは佑真にはわからない。
 けれど、一生懸命伝えようとするだろう。
 それを聞いたときの航の顔を想像して、佑真はひとり肩をすくめた。



 甘いものが好きではなかったはずの航が、その日、さっきまで美琴の持っていたチョコレートをそれはそれは大事そうにまた部室の冷蔵庫に入れていたのを佑真は見た。

 美琴の『好き』は、ちゃんと航に伝わったようだ。


fin.

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