パステルカラー




 久しぶりに晴れ間が覗く。
 暖房をつけなくてもよくなる。
 着るものも、少し薄くなる。

 いろんなことがちょっとずつ、春になっていって。
 今までなら、楽しみだったはずの季節。

 ――大人になるって、本当につまらない。

 大学に入る今年、春はあたしにとって、楽しみでも何でもなかった。






「うわーーかわいいっ! ね、どうしたのこれ!?」
「そー言うと思った。ここ来る途中見つけて、あんまりいい色だったからちょっと衝動買いを」
「うんうん、その気持ちに従って大正解♪ さすが巧(たくみ)!」
 沙恵(さえ)が褒め称えると、巧は照れたような、でも嬉しそうな笑顔で微笑んだ。
 引っ越したばかりのアパートに、巧は真新しい自転車を携えてやって来た。
 前につけられた籠やハンドルの銀と、車体のパステルピンクの取り合わせがとても沙恵好みで、ひと目で気に入った。
「でもーあのー……これ、巧が乗るの?」
「問題はそこなんだよな」
 うーん、と腕組みをして今度は考え込む巧。
 くるくると変わる表情は見ていて飽きないし、何しろ感情を素直に出してくれるのがとても嬉しい。
「オレが乗るにはやっぱ、かわいらしすぎるかなーと」
「や、あんまし違和感ないと思うけど……」
「それ褒めてる? けなしてる?」
「んー一応褒め言葉のつもり」
「……じゃあ一応ありがとうって言っとく。で、ものは相談だけど、沙恵の自転車とコレ、交換しねー?」
「あたしの?」
「うん。引っ越すとき持ってきただろ?」
「あるっちゃあるけど……」
 そう言って沙恵は、アパートの敷地内に設置されている駐輪場に目を向けた。
 確かに自転車はある。でもそれは、高校の頃から乗っているちょっと年季の入ったものだ。籠はどこかにぶつけてへこんでいるし、左のブレーキも利きが良くない。更に後ろには高校の名前入りのステッカーまで貼ってある。
 巧の新品の自転車と交換するにはあまりに気が引けた。
 色は青だから、そりゃ巧にとってはピンクよりはいいかもしれないが。
「ダメ?」
「だってあたしの……ボロいよ?」
「いいって全然。しかも星陵高校のステッカー貼ってあるなんて、レアじゃん」
「そういう問題かなあ……」
「いーからっ。ホントのこと言うと、これ見たとき沙恵に似合いそうだなって思って買ったんだし」
「え?」
 訊き返したのに、巧は今度は本当に照れてしまってもう一回は言ってくれなかった。
「とにかく。オレが沙恵にもらって欲しかったからいーの。それに」
 ひと呼吸おいて、続けた。
「来週からはなかなか会えないけど。沙恵の自転車でオレ、学校行きたいからさ」
 巧は切なそうに沙恵を見た。沙恵もその言葉に、顔を歪めた。







 二人は、中学のとき同じクラスになったのをきっかけにつきあいだした。
 高校は別だったが、毎日のように会っていた。家もそれなりに近かった。
 高校三年になって、進路のことでもめたりもした。
 まだ十代の二人は、目標と恋人をどちらも選べる道を一生懸命考えた。
 その結果、沙恵は私立大学の文学部に、巧は短大の英文科に入学した。
 けれど沙恵の通う大学は家から遠く、ひとり暮らしをすることになった。巧は家から近いところを選んだため、今年になって初めて二人の物理的な距離は相当開くことになる。
 学校が違って、家も離れていても今までと同じつきあいができると思えるほど、二人はもう子どもではない。
 むしろつきあいが長い分、現実が見えてくる。
 離れてしまってそれで信じられなくなったらもうおしまいなのだと、わかっていた。







 沙恵は無理矢理笑顔を作って、明るく言った。
「じゃあそうなる前に今からこれに乗ってお花見行こう! 近くの川原がね、桜すごいの」
 巧も暗い表情を吹き飛ばして笑った。
「よし決定! 沙恵乗って乗って」
 幸い新しい自転車には荷台がついていて二人乗りには苦労しなさそうだ。
 沙恵が荷台に乗ると、巧はペダルを漕ぎ出した。
 ひとりのときより少しゆっくりめな速度とあたたかい風が気持ち良い。
 沙恵が道案内をしながら、パステルピンクの自転車は桜並木を目指す。
「なー沙恵ー?」
「んー?」
「忙しくっても、オレのことちゃんと構えよー?」
「何それ。あたし今まで、そんなほったらかしにしてたことないと思うけど……」
「嘘つけっ。テストだなんだってしょっちゅう携帯の電源切るくせに」
「だって巧が絶妙のタイミングでメールしてくるんだもん。あたし悪くないっ」
「ちょっとは悪びれろって。最初電源切ってるなんて思いもしないで返事待ち続けたオレの時間を返せ」
「じゃあドラえもん連れてきて」
「頼むからもっと謙虚になってくれ」
「うそうそ。ごめんね。今度はちゃんと返すよ」
 言いながら、携帯電話を前にしておあずけを喰らった犬のようにメールを待ち続ける巧を想像して沙恵は笑った。
「何笑って――うわっ、すげえ」
 最後の角を曲がると、一面桜色に染まった土手が見渡せた。
 あとは斜面になった芝生をおりるだけなので、沙恵も自転車から降りて土手を眺めた。
 天気のせいもあって人出は多く、人々は思い思いの場所に座ったり寝そべったりしている。
 傍らで犬や子どもがはしゃぎまわるその風景を見ると、日本に生まれてよかったと心から思える。
「ちょうど見ごろだねー」
「だな。下りるか」
 自転車を引いて、二人はひときわ大きい樹の下に腰を下ろした。
 沙恵は座って、巧は寝転がって、しばらく言葉もなく桜を眺めた。
 毎年見ていて、色も形もずっと変わらないものなのに、飽きないのはなぜだろうか。
 桜にはそんな、いつまでも見ていたいという不思議な魅力があった。


 いつもは桜が咲いて、春になるのが待ち遠しかったのに。
 今年はこうして春を実感するととても切ない。
 もうすぐ始まる新しい生活。
 今までのようには巧に会えない。
 会おうと思わなければ、会わない。
 毎日忙しくなって、やがて会おうとしなくなってしまうのかもしれない。
 それが沙恵には、たまらなく怖かった。
 自分だけが、相手を必要とするのは少し寂しい。
 でも、自分だけが相手を必要としなくなってしまうのは――もっと寂しいし、切ないし、悲しい。
 今までさんざん頼りにしておいて、自分が少し強くなったらいなくても大丈夫、なんてことにはなりたくない。
 もし巧にそう言われたら辛すぎる。
 つきあいは長い。でもまだ絶対に、離れるときではないと思う。


「……またそんな顔して」
 いつのまにか巧は起き上がって、沙恵の顔を覗き込んでいた。
「泣きそうじゃん」
「だって……」
 寂しいような切ないようなこの複雑な気持ちをうまく言えなくて、黙ってしまう。切ない、という言葉では足りなすぎる。だけどそれに代わる言葉を沙恵は知らない。
 ふいに、巧が沙恵を抱き寄せた。
 自分より少し高い体温が伝わってきて、安心するけど泣きそうになる。
「あーもう、心配だなー」
「何が?」
「まだオレはここにいるのに、今からそんな顔されちゃったらひとりになんかしておけないって」
「だって。こうしてるのはすっごく幸せで。帰らなきゃいけないって考えたら、……さみしいよ」
「オレだってそーだよ。けど、オレたちは別の環境で生活してくことを選んだんだから」
「わかってるの。わかってるけど……あたしそう言われて割り切れるほど大人じゃない」
「いいよ、そんなん割り切らなくて」
「……けどあたしがこのままじゃ、巧は困るばっかりでしょ?」
「確かに沙恵はいっつも、帰りたくないってわがまま言って。オレはそのたんびにどうしたらいいかわかんなくなって。今だって本当はこのまま連れて帰りたいぐらいだけどさ……」
 巧の言わんとしていることが読めなくて、沙恵は不安になって巧を見上げた。
「でも、結局、それってまだちゃんとお互い必要だって思ってるってことだから。全然困るとかは、ないから。だから……そう思ってるうちは、離れても大丈夫だって思ってるんだけどオレは」
 一生懸命言葉を探しながら言ってくれた「大丈夫」の一言に、勇気付けられた。
「あたしも。多分今まで以上に帰るときやだって言うと思うけど、そしたらがんばって慰めてね」
 巧はよく言うよ、と呆れたように呟いた。


 桜が舞い散る中、側にはパステルピンクの自転車が桜とは違うトーンで存在を主張している。
 学校に通うのが楽しみになりそうだ、と沙恵の心は少しだけ軽くなった。


fin.




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